2017年8月頃から2018年11月頃まで、うつ病の治療をしていた。
インターネットで検索したときに、病気で通い始めた後治ったところまで書かれている記事があまり見つからず、どんどんきつい薬になっていったり自暴自棄になったり、薬ソムリエと化しているものがよく見つかった。僕自身もそのような記事を多く見て「このまま良くならないんじゃないだろうか」と辛い気分になったことがあった。
あまりおおっぴらにいうのもちょっと気が引けたが、「ちゃんと病院に通い続けて、言われた薬をきっちり飲んで、回復した記録」を残すことで、何かの役に立てればと思って書いておきたいと思う。
免責事項 :あくまで僕のケースについて書かれています。ご自身の健康上の問題は医師などの専門家にご相談ください。
なんでうつ病になったのか
これはあくまで僕の見解で、そういう診断がついたわけではないのだが、転勤後にうまくストレスのはけ口を見つけられなかったのが良くなかったのではないかと思う。
僕が東京に来たのは 2016 年 6 月の頃。
この転勤は会社的にも個人的にもいろいろな理由が重なった上でなされた事だったが、今となっては既にこの頃には多少の波は来ていたのかもしれないと思う。
「大阪本社の人間が、東京支社の人間の仕事に対して、物理的な距離が離れていることを良いことに様々な文句を言う」ように見えていた*1のもあり、であれば社内的にもそれなりに腕が立つと知られていて、大阪本社で顔の利く自分が行くことで変えられるものもあるのではないか、という考えがあった。
しかし、東京支社に来て数ヶ月、実際に感じたのは支社内のセクションごと、例えばエンジニアが営業やデザイン、また逆もしかりのいがみ合いみたいな状況だ。
また、会社の仕組みや考え方もどんどん変わっていったも辛かった。プロジェクトの数字をよくすることだけしか考えず、最終的なエンドユーザーのことを蔑ろにした開発もあったし、クレドにある「社員の幸福」を毀損するような制度やルール、セキュリティー対策がどんどん入っていった。とても良い理念を持っていた会社なのに、それに基づかない動きが大きくなっている現状を止めることができないというもどかしさで、気持ちがどんどん沈んでいったことを覚えている。
そういった環境の中、最初の年はエンジニアのリーダーを任されていた。実際に課長の権限を委譲された上で、人の採用も含めてのマネージメントをするということをしていた。 ただコード書いていれば良いわけではなく、様々な不満をぶつけられる立ち位置にあり、影響を受けやすい自分の心がすり減る感じがとてもした。自分のマネージメントミスでメンバーが辛い思いをして退職したことは、本人に大変申し訳ないことをしたと思い、自責の念に駆られて特に大きいダメージになったと思う。
更に周辺の環境でも、大阪にいた頃は家の近くに行きつけの飲み屋があり、顔見知りの常連さんとお話したりすることができていた。東京にきてから、あれがとても良いストレス発散になっていたことに気がついた。新しい家の周りには何もなく、夜遅く帰ってくるとご飯を食べるのにも困るという場所だった。会社の外で話す人も少なかった。
それでも、なんとかやっていきたいと思っていて踏ん張っていたところ、体制変更でマネージメントの仕事を外された。解放された、という感じよりも不要物扱いされた感じを受けて、ここで折れてしまったのだと思う。2017年の4月のことだった。
病気の様子と診断まで
このような自覚症状を感じた。
- 考えがまとまらず、新しいことができない。頭が回っていない感覚がある。
- 体調的には問題ないはずなのだが、キーボードが叩けない。
- これまで楽しかったことが楽しくなくなる。Splatoon をやっていても、ライブに行っても、ふーん程度にしか思えなくなった。
これらは2016年の年末くらいから感じていて、日を増すごとに強くなっていっていた。4月以降はますます強くなっていった。 特にデスクに座っていて、キーボードを前にして、やることはあるのにその内容に立ち向かえない。そのような状況が日に日に深まっていったのは特に辛かった。
そんな状況なので仕事も遅れており、2017年8月の盆休みは普段からの仕事の遅れを取り戻すため出社するつもりだった。しかし直前の部長との面談*2で、趣味も楽しくない旨の発言をしたところ「いいから休め」といわれ、いよいよ自分はもうダメなんだなと気づいて、病院に行かねばならぬという諦めが付いた。
お盆休み入ってすぐ頃に周辺のメンタルクリニックを探した。こういうところは基本的にどこも電話予約だが、元々電話が苦手で精神状態的にも辛い状態のところで勇気を振り絞って電話するのはかなり辛い作業だった。見つけたところに電話したが「明後日からお盆休みで、初診ができるのは明けになる」と言われたが、もう別の所にかけるのがつらかったし、幸い自分の会社はそれよりもお盆休みが長かったのもあり構わない旨伝えた。
無為に過ごした盆休みが終わる少し前くらいにメンタルクリニックに行った。案内としては普通の病院と何ら変わる感じはなかった。先生に先のような状態を伝え、いろいろ質問に答えた。家族構成なども聞かれたが、自分の心情を聞かれる部分については、これまでの人生であまりそういうことを考えないようにしてきた*3こともあり、伝えるのに時間がかかった。先生は「こうですよね?」というようなことはおっしゃらなかったことが印象に残ったが、これは誘導尋問にならないようにということなんだろう。
結果「軽いうつ病」と診断された。自覚はなかったが、睡眠についても良い状態ではないと指摘された。何を持って「軽い」なのかはわからなかったが、投薬と「とりあえず1ヶ月」休職することになった。*4
診断をもらってからはお盆休み明けに部長に診断がついたので休職する旨を伝え、1週間程度で最低限必要な引き継ぎをしてから休職に入ることとになった。上席から文句を言われたりすることはなかったが、本社の人事担当に状況を説明したり、本部長に呼び出されて激励されるイベントはあった(何を話したかは覚えていない)。
治療
2017年8月下旬から休職に入った。基本的には言われたとおりに薬を飲み、何もしないようにしていた。
お薬はこういうものが出ていた。
- レクサプロ
- SSRIと呼ばれるカテゴリのお薬で、これがメインのお薬。
- レキソタン (ブロマゼパム)
- 補助的に出た安定剤。用量が小さかったせいか、個人的にはこれのおかげという印象が薄い。
- 他はジェネリックがあるものはそっちを使っていたが、これは何故か先発品使ってた。
- スルピリド
- 治療を始めた頃に食欲が少し減ったと言ったら出たもの。
- これが原因で逆に食欲が暴走。体重が10kg以上増え、3ヶ月くらいで止めてもらった。
- ゾルピデム
- 寝付きが悪いときに飲んでいた
- 治療開始後しばらくは毎晩、安定してきてからは頓服的に利用
- エチゾラム
- 寝た後ぐっすりできないときに飲んでいた
- 治療開始後しばらくは毎晩、安定してきてからは頓服的に利用
- 昼間つらい時しばしばあったので、勤務開始後は休みの前の日に使うようにした
休職中はとにかく何もしないように気をつけた。
引きこもりになりすぎないようにということで週1で通院だったので、そのあたりもほどよかったのだと思う。
概ね3週間程度で多少頭が回るようになってきて、先生もこの調子なら復帰できるようにリハビリしましょうということになり、1週間程度オフィスの近くのカフェに行き、コードを書く練習をするようになった*5。
精神の薬は相性の問題もある中一発で合ったのもあり、1ヶ月といううつ病としては短い期間で復帰することができた。
復帰後
2017年10月からはゆるやかに仕事に復帰していった。
復帰後2ヶ月ほどは先生から残業禁止が出ていたりはしていたものの、休職直前にやっていた自社プロダクトの仕事にはすんなり戻った。その後も周りには申し訳ないと思いつつも自分のことを優先してなるべく残業しないように心がけ、22時には寝るようにしていた。
復帰後に人事の人から何度かアフターフォローがあった。
通院は1週間ペースだったのが復帰2ヶ月で2週間に1回となった。一時期はずっと同じ薬を飲み続けるだけ、特に何も変わらない時期が半年以上続いていた。先生から頼りになる感じではない印象を受けていたこともあったため、今はそんなことはないと思っているが「もしやこいつヤブなんじゃないか」と失礼なことも思ってしまった時期もあった。
精神の薬はほとんどアルコール併用がNGなので、飲酒ができないのがとてもつらかった。
また、薬の具合なのか寝起きに頭が重く、つらいこともちょくちょくあった。こういうときは無理せず休むようにした。
回復
とはいえ、だんだん回復を感じるエピソードが増えてきた。
- ライブに行って楽しいと思えるようになった。いわゆる「余韻」の感覚が戻ってきた。
- 新しい開発のネタを考える余裕が出てきた。
そういった折り、元々考えていた条件が揃い、2018年10月くらいに車を買うことを検討し始めた。このときに強く心躍る感覚がしたことを先生に伝えたところ「テンション上がりすぎたら問題ですね」と言われ、減薬を開始することとなった。
僕のケースでの減薬は以下のように進んだ。
- 当初は夜にレクサプロ・レキソタン、朝にレキソタンを飲んでいた。
- 最初の2週間で夜のレキソタンを終了
- 次の2週間で朝のレキソタンを終了
- 次の2週間でレクサプロを2日おき
- 次の2週間でレクサプロを3日おき
- 終了
そうして、2018年11月末に治療終了となった。
金銭面
休職にあたっては健康保険の傷病手当金をもらった*6。この制度は「給料の2/3が支給される」制度だが、税引き前の2/3なので、入ってくる金額は普段の税引き後の金額に近い金額が振り込まれてきた。
が、注意しないといけないのはこの期間中も税金の特別徴収は残っているし、社会保険も払わないといけないということだ。自分の場合休職中の分は会社が立て替えるという形になっており、復帰後に返す形になり、結局ボーナス払いとしたので2017年の冬ボーナスは雀の涙となった。
また、この診断によりしばらく保険に入ることができなくなってしまった*7。医療保険など、健康が条件になるものは健康なうちに検討を進めて固めてしまった方が良い。
その後心がけていること
とにかく精神の負荷になりそうなことからは遠ざかるようにし、気兼ねなく会話ができる状況を多く持つことにしている。
- 無理をしなくなった
- 最初はやりたい仕事だからといって残業も厭わずやっていたが、「やりたくなくてもとにかく自分が動かなければ進まない」という変な驕りから動くようになっていたとおもうので、そういう働き方はしないように気をつけた。
- 精神の負荷になりそうなやり取りから遠ざかるようにした
- 会社の外で人と会う回数を増やすようにした
- 友人が毎週決まった日にやっている集まりになるべく参加するようにした
- 運動
- 折を見て水泳をするようになった (汗かきたくないので、汗が流れていって都合が良い)
最後に
途中にもあるとおり僕のうつ病は最初のうちに「軽い」と言われていた。「軽かった」故に復帰も回復もスムーズにいったのだろうが、それでも1年かかっている。我慢せずに早めに医者にかかったほうが良いと思う。
お医者さんについては「この先生ダメなんじゃないか」というようなことが書かれている記事も結構あり、僕自身もそういう心情を体験したが、結果そのままお願いしていてきちんと治療終了となったので、判断はかなり慎重にしなければならないと思う。
今後、また飲酒できなくなるのはつらいので、精神も肉体も健康でいれるよう気をつけていきたい。
*1:あくまで僕の主観ではある
*2:この面談は3ヶ月ごとにある、評価制度の面談である
*3:いじめられている時期にそういうのを避けるようになった
*4:後に、穢れを受けすぎて「あたしって、ほんとバカ」と言い残して魔女と化した美樹さやかと、不満を受け止めすぎて精神がやられてしまった自分の状況を重ねて「まどか☆マギカってよくできたお話だと思いながら休職してた」いう話をしたことがある。
*5:このとき書いていたのがTransporterPad
*6:ちなみに待期期間という、3連休が必要になるが、盆休みの終わりくらいにメンタルクリニックに行ったこともあり、盆休みが明ける頃には完成した状態になっていた。
*7:僕は東京に来た頃に老後込みの高めのものに入っていたので一切保障がない状態は回避できたが、母の介護中に自分が倒れるというを想定した条件になっていたのを組み替えることができなくなってしまった。